野菜を育てていて感じるのは、子育てもなんとなく似ているなぁということ。
僕の野菜栽培経験はたかだか10年ほどですし、子育てにしたって7年ほどしか経験していません。
それでも、野菜を育てることと子どもを育てることには共通点があるような気がするんです。
その共通点のいくつかを書いてみたいと思います。

野菜を育てるときに気をつけていることはいくつかありますが、
厳しくしすぎない
というのはそのうちのひとつです。
水や肥料を極力控えるようにして、野菜自身が持っている植物としての本能を目覚めさせようとする栽培方法があります。
わざとカチンカチンの土で野菜を育てることで、たくましく根を伸ばして環境変化に強い野菜を育てるという方法もあります。
これらの方法は、その野菜が厳しさにどこまで耐えることができるのか、を知っているからこそできるんです。
限界を知っているからこそ、野菜が強くたくましく育つための最低限の手助けしかしないんです。
そして厳しさの裏には、栽培者として野菜のことを深く知るための努力が必要になります。

叱られた子供
子どもに対しても厳しくしすぎないことは重要です。
厳しいことが悪いわけではありませんし、ときには厳しく接することも必要ですが、その子が厳しさにどこまで耐えられるのかを知っていなければ子どもの心が折れてしまうことだってあります。
ただ厳しく育てればいいというものでもなくて、子どもをひとりの人間として尊重しながら社会に適応していくための最低限の手助けをしてあげるべきです。
つまり、子どもを厳しく育てるためには、その加減が必要になってきます。
親として子どものことを深く知るための努力が必要になります。

 

厳しさよりもこっちのほうが加減が難しい

一方で、野菜を育てるときには
甘くしすぎない
ということも重要になってきます。
肥料がたっぷりとはいっている畑で、水をたっぷりとあげて育った野菜がどうなるか。
これは人でいえば
家でごろごろ寝ころんでいると食事がたっぷり勝手に出てくるので何不自由なく暮らしてまーす
という状況です。
こうして動きもしないで食事にありつける、運動不足でぶくぶくと太っていくことが果たして健康であるといえるでしょうか。
野菜が育っていく先々であれこれと過剰に世話を焼いていくと、自分のおかれている環境に甘えてしまうので、たとえば雑草と日光や肥料分の奪い合いになったときに、たとえば1ヶ月くらい雨がまったく降らない状況が続いたときに、たとえば感染すると枯れてしまうようなウイルスが虫にくっついてやってきたときに、甘えて弱くなってしまった野菜は雑草やウイルスに耐えて勝つことができなくなってしまいます。
そうならないためには、栽培において甘やかしすぎないということが重要なんです。
野菜がみずからの力で根を伸ばして水や肥料を求めていけるように、自立して長雨や干ばつに耐えられるように、栽培するときは保護者として最低限の手助けをしてあげます。

 

水遊びする子供
子どもについても同様です。
欲しいと言ったものをなんでも買ってあげる。
服を着替えさせてあげる、ご飯を食べさせてあげる、など子ども自身が成長にあわせて習得していかなければいけないことを親が先回りして世話を焼いてしまう。
外で遊ぶと汚れるからという理由で室内で遊ばせる、アイドルになりたいという夢を芸能界は怖いところだからといって諦めさせる。
子どもが成長して大人になっていくためには様々なことを経験していかなければならないし、自分で考えて自分で行動していく力を身につけなければなりません。
自立していくための経験を親がさえぎってしまってはいけないと思います。

 

親としてできることは見守ること

畑で野菜を育てるということは、栽培者が親として野菜という子どもを育てていく感覚に近いです。
近いんだけど決定的に違うのは、親が人間で子どもが植物だということです。
子どもは同じ人間ではないので、子どもの気持ちは想像することしかできません。
同じ人間であれば、自分が子どもだった頃を思い出すことで解決できることもあります。
それが植物相手ではできません。
そして植物は考えていることを言葉にして伝えてくれません。
もちろん茎葉の茂り方や色合いである程度の健康状態を知ることはできますが、
すぐそばに生えてるスギナを刈ってくれ~
隣にいるキャベツが近すぎるからなんとかして~
みたいな細かな要望まではなかなか汲み取ることは難しいです。
まあ、彼らの気持ちを言葉にされると怖いなぁという気持ちもありますけどね。
おい!水が足りねぇ~よ。
せっかく実をつけて大きくしようとしてるのに勝手に収穫するなよ。
生長している途中で収穫していくなよ。
食べることを前提に育ててるんだから文句を言われるのは当然ですね。

とにかく言えることは
親として、子どもが自立してがんばっていることは可能な限り見守っていく
最低限の手助けにとどめる
といったところでしょうか。